大企業の没落の兆候・・・闇の力になるのは悲しいこと
「制服向上委員会」の公式ブログによると、彼女たちのフジロックフェスティバル‘11の出演が大手企業の妨害によって中止になったと報じられています。
「大手企業」の名前はまだわかっていません。
はずされた理由は脱原発の歌を歌おうとしたことによるとされています。
よく知られたように制服向上委員会というメンバーは、「マナー向上委員会」など現代社会の問題に取り組みながら活動するグループです。
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第2次世界大戦に参戦した日本は310万人という膨大な数の犠牲を出し、それまでの日本社会の未熟さを反省して、「表現の自由、学問の自由」など、政府や社会の権力に対して自由に活動できる基本的人権を獲得したのです。
それは、戦後の明るい社会をもたらしました。
「日本は自由だ。なにを言っても逮捕されないし、解雇されない」
「こんなことを言うと昔は憲兵にしょっ引かれたものだ」
という話も自由にいえるとても良い社会に向かっていたのです。
それを考えると、この話は実に悲しいことです。かりにこの話が大手企業の妨害がたいしたことではなかったにしても、このような話が出ること自体、日本社会がだめになっていく証拠でもあります。
ダメなのは首相は政府だけではなく、そのバックとなる日本社会が汚れてきたことを示しています。
そして、今までも、原発事故を批判的に発言した芸能人に圧力がかかっています。
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自由で明るい社会というのはどういうものでしょうか?
私は
1) 誰もが意見や思想を持っていて、どれが正しいとか間違っているとかは本人の自由である、
2) それを自由に表現したり、研究したりすることができる、
3) お互いに意見に違いがあることを認める、
4) もし「制服向上委員会」の活動がイヤだったら、その活動を見に行かなければ良い、
5) 他人に極端な迷惑をかけないのなら、その人の自由である、
ということと思う。
人間は生きているだけで、他人に迷惑をかけています。
●地球には8億人の人が飢えているのだから、たらふく食べるのは迷惑と言えば迷惑である。
●自分が電車に乗って座席に座れば、その代わりに座れない人がでる。
●生活をすれば必ず資源を使い、ゴミを出す。
だから、この程度の迷惑は仕方がありません。その行動の範囲が極端にでなければ、なにをしても良いというのが気持ちの良い社会でしょう。
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政府、中央官庁の役人、自治体、電力会社・・・考えてみると、何かを「独占」しているものは傲慢になり、人をコントロールしようとしているようです。
競争相手がいれば、みんなはイヤなら別のものを買うので、自分の価値を他人に押しつけようとは思わないでしょう。最近の政治家も小選挙区制になったので、国民は政党を選ぶことはできても人を選ぶことがほとんどできなくなり、独占的になっています。
それにしても、なにが真実だとしても、このようなひどいニュースが流れるだけで気が滅入ります。なんでもっと明るく開けた社会を作りたいと思わないのでしょうか?
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芸術家や歌手のグループが反戦運動、環境運動、そして反原発などの運動を展開することは多いのですが、その中には時として私の考えとも違うことがありました。
でも、その活動はその活動として認め、なぜ芸術家がそのような活動をしようとするのかという根本的な原因を考える必要があるでしょう。
福島原発が事故を起こしていない前(3月11日の前)でも、原発に反対する運動はあったわけですから、福島原発の事故が起こった後では、反原発運動がない方がおかしいと思うのです。
また、ヨーロッパはもともと原発に対して辛い評価をしていますが、ドイツやイタリアではすでに国民投票で脱原発が決まっているのですから、日本で脱原発の運動が盛んになっても、それは当然のように思います。
また、長い歴史をみますと、強圧的な政治をすれば一時的に意見を押さえることはできますが、正しいことは結局、最後には通じるわけですから、原発の推進派ももう少し余裕を持ったらどうでしょうか。
(平成23年7月20日 午後11時 執筆)
武田邦彦
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