9.07.2011

福島からの現実の話

福島から避難した人の話
http://www.janjanblog.com/archives/48645
震災直後は騒然としていました。
放射能については、誰も危ないといってはくれませんでした。
震災のあと数日後にの12日~15日ころなどは、スーパーなども青空市場となって再開していました。
あとになって、一番放射能が高い時期だとわかったのですが、
誰もそのような危険性を知らせてくれなかったので、
自分と娘はその青空市場にかなりの時間並んでしまいました。
福島市内には放射能の多いホットスポットが点在しています。
ホットスポットといっても、公園がロープで囲われていて入るなと紙が貼ってあるだけです。
自分の娘の通う学校が放射線量が高いホットスポットだと知ったのは、
娘の学校が何度もTVに映されたかからです。
娘は面白がっていますが、親は気がきではありません。
自宅の放射線値をガイガーカウンターを借りて計ってみたところ、
自宅前で2.9、玄関で0.9 屋内で0.5。
3.9でホットスポットといわれるので、かなり高い数字でした。
テレビのアナウンサーは、この値はレントゲンのエックス線と同じ値だといいますが、
レントゲンは一日中あびません。
この値の放射線をずっと浴びつづけたら大変なことになると、
7月になって気がつきました。
それでも多くの人が避難していません。
その理由は情報がないからです。
放射線量が高いのいので子供は集団非難したほうがよいという記事は、
こちらの新聞には乗っていますが、フクシマの新聞には掲載されていません。
テレビなどで流されているのは「ガンバロウ福島」というかんじのものばかりです。
フクシマの人たちの間には大丈夫ムードがあります。
こちらに避難してから、テレビで放射能特集の番組をやっていたので、
まだフクシマにいる知り合いに電話したところ
同じ時間にお笑い番組をやっていた、ということがありました。
情報管制がしかれているのではないかと疑うほど情報がありません。
フクシマの知事も当初はフクシマからの避難の受け入れは必要ないといっていたので、
周辺の県でも避難の受け入れがはじまりませんでした。
隣の山形での避難受け入れがやっとで7月に始まりましたが、申し込みが殺到してすぐに一杯になりました。
私の住んでいた地域では、学校の校庭は除洗したけれども、
通学路は除洗していません。放射線量も高いままです。
そのような状態なのにテレビでは除洗モデル地区として通学路の映像が流されています。
そのような地区で、娘は暑いのにマスクをして通学して、
避難するまでの4ヶ月の間、外で遊んでいました。
娘の学校に授業参観にいったのですが、学校内ではマスクはしていませんでしたが、
教室の校庭側の窓がすべて閉められていました。
廊下の窓はあいていましたが、汗ダラダラの暑さでした。
扇風機が4機あって動いていましたが、暑い空気を循環させるだけなのでより暑い感じがしました。
テレビ番組で、その学校のプールサイドで放射能測定機の針が振り切れるということがありました。
学校側はプールの水を抜いて除洗しましたが、保護者の猛反対にあって、プールの授業は
市内の室内プールで行うことになりました。
その室内プールは、いろいろな学校がつかっているので、プールは週に1日だけです。
プールも水を足でバチャバチャしただけで終わってつまらないと娘が言っていました。
放射能は目に見えません。
避難する前に庭いじりをしていたときに、自分と妻の手の指がただれるということがありました。
これが放射能のぜいかどうかは分かりませんが、とても気になります。
チェルノブイリのかけはし」というチェルノブイリの子どもを北海道に避難する支援をしているNPO法人の代表の方の講演会を聞きにいく機会がありました。
避難してきたチェルノブイリから避難してきた子供の写真は、目の下にクマがあり不健康そうでしたが、
おなじ子供の避難後一ヶ月の写真では、イキイキしていて健康そうな顔になっており、まったく人相が変わっていました。
放射能は目に見えないけれど、実際にあるんだと痛感しました。
これを機会に避難することにしました。
車に子供を乗せて、日本海側を通って岐阜に避難しました。
子供が行きたくないと泣きました。
東北からかなり離れた途中の休憩所で、娘が
「ここは放射能ないの、この石触っていい?」と聞きました。
なんてことはない、どこにでもある石ですが、いまは娘のリュックに大事そうに入っています。
放射能があるから触るな、と言いつづけることは、親にも負担です。
外でごく普通に遊べるといことは、本当にすばらしいことです。
フクシマの公園では誰も遊んでいません。
子供の健康のことを考えると、もどりたくありません。
中日新聞にはフクシマの子供の4割に甲状腺以上が見つかったという記事がありました。
一緒に避難したお母さんも涙目になって話をしていました。
自分たちはこちらに移転することを考えていますが、
子供が放射線のことでイジメられないかが心配です。
被爆したことのある人が、婚約を破棄された例もあると聞いています。
こちらにやってきてホテルに宿泊するときも、
宿泊拒否されるんじゃないか、ということが心配でした。
手続きをしている間もずと心配で、実際に部屋に案内されて、部屋に入ってしまうまで、
宿泊拒否されるんじゃないかと心配をしていました。
Q:避難に際して仕事以外での障害はなんでしょうか?
A:コミュニティの問題があります。
移住した先では子供にも友達がいないので新しい友達ができるか不安です。
母親たちにもママ友がいません。
知っている人も周囲にいないので不安です。
地域の地理などもわかりません。
同じ地域の人たちが集団で移住すれば安心です。
もともとすんでいた地域での人間関係が壊れることが心配です。
フクシマから離れることを「逃げる」といわれるのではないかと心配です。
自分たちも近所には移住することを話していません。
とても言える雰囲気ではありません。
フクシマでは放射能のことは話題にならないのです。
Q:コミュニティごとに移住する話はありませんか
A:高山にそのようなことをしている古民家があります。
有志のかたがやっているものです。
本当はそのようなことは行政がしなければいけません。
各市で100づつ受け入れなどをすればなんとかなるような気もしますが、
行政が動くには協定を結んで利面倒くさい手続きが多いです。
先日話をした年配の方は、むかしの戦争のときなどは集団疎開をしていたのだから、
いまもそうやって避難させればいいと言っていました。
Q:何十年かたって放射能が薄まったらフクシマに戻る気はありますか?
A:たとえば30年たったあとにフクシマに戻るかと言われても難しいと思います。
娘もこちらで30年たてばこちらでの生活があるでしょうからできないと思います。
政府は当初100ミリシーベルトまで大丈夫と行っていましたが、
あとで数値を見直しました。
パニックを避けるためにそのような値を発表したと言っていますが、
知らずに子供を外であそばせた人もいます。
こちらにやってきても、フクシマ産の野菜などは怖くて買えません。
でも子供は知らないので買い物カゴにいれてしまうのを、
母親カゴから戻したりしています。
こちらでは毎日放射能のニュースが流れています。
こっちの人は、現場にも情報が伝わっているとおもっていますが、
実際には伝わっていません。
マスコミや議員にも原発関連でお金が流れていると聞きます。

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