4.24.2011

孫正義 記者会見 2011/04/22



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ご存知ソフトバンクの親分。
彼の行動には、覚悟がある、信念がある。そして希望がある。
有言実行!

日本記者クラブの支配の、実質報道規制を破る意味でも、本日、自由報道協会が<孫 正義  記者会見>を開催した意味は重要。



孫 正義
略歴

1957年8月11日 - 在日韓国人実業家、孫(安本)三憲の二男として佐賀県鳥栖市に生れる。母は李氏。男ばかりの4人兄弟であった。
緑ヶ丘・第二幼稚園を卒園。
北九州市立引野小学校を卒業。
北九州市立引野中学校を途中で転校。
福岡市立城南中学校に転入。
1973年 - 久留米大学附設高等学校に入学(同い年でラ・サール高等学校の岩屋毅と友人に)。 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読み、脱藩に憧れて渡米決意。 夏休みを利用して米国カリフォルニア州にて語学研修のため4週間の短期留学。
1974年- 久留米大学附設高等学校を中退し、渡米(2月)。米国ホーリー・ネームズ・カレッジの英語学校(ELS)に入学。米国セラモンテ高等学校(サンフランシスコ)の2年生に編入(9月)。3年生、4年生へと飛び級。高校卒業検定試験に合格したため、高等学校を3週間で退学(10月)。
1975年- 米国ホーリー・ネームズ・カレッジに入学。
1977年- カリフォルニア大学バークレー校経済学部の3年生に編入。
1979年 - シャープに自動翻訳機を売込んで得た資金(1億円)を元手に、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。インベーダーゲーム機を日本から輸入。結婚。
1980年- カリフォルニア大学バークレー校を卒業。学位は、経済学士(カリフォルニア大学)。日本へ帰国後、会社を設立するために福岡市南区に事務所を構える。
1981年 - 福岡市博多区に事務所を移し、コンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を設立。福岡県大野城市に「日本ソフトバンク」を設立。
1983年 - 慢性肝炎で入院。社長職を退き会長となる。
1986年- 社長職に復帰。
1990年9月4日 - 日本に帰化[1]。
1994年 - ソフトバンク株式会社の株式を店頭公開。
1996年- 米ヤフーとソフトバンクの合弁でヤフー株式会社を設立。オーストラリアのメディア王ルパート・マードックのニューズ・コーポレーションと折半出資の合弁会社を設立し、テレビ朝日の株式の21%を取得。後に朝日新聞の反発に遭って撤退。
1999年- 証券市場の開設を企図し米国のナスダック・ストック・マーケットとソフトバンク株式会社が共同出資しナスダック・ジャパンプランニング株式会社を設立。
2000年- 大阪証券取引所とナスダック・ジャパンプランニング株式会社にてナスダック・ジャパン市場を開始。
2000年 - ソフトバンク株式会社が東京海上保険、オリックスと供に、日本債権信用銀行(現あおぞら銀行)の株式を取得。取締役に就任。
2001年 - ヤフー株式会社と共同でADSL接続サービスのYahoo! BBの提供を開始。以降、それまでのPCソフト卸、PC出版から通信に本業の軸足を移す。
2002年- ナスダック・ジャパン株式会社業務停止。(大阪証券取引所がヘラクレスとし市場維持)
2003年 - あおぞら銀行の株式をサーベラス・キャピタル・マネジメント社(Cerberus NCB Acquisition,LP.)に売却。
2004年- 日本テレコム株式会社(現ソフトバンクテレコム株式会社)を買収し、同社代表取締役会長に就任(2006年(平成年)10月に同社代表取締役社長に就任。)。
2006年 - ボーダフォン株式会社(現ソフトバンクモバイル株式会社)を買収し、同社代表執行役社長兼CEOに就任。
2011年 - 東日本大震災の義援金として個人で100億円及び2011年から引退するまでソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額を寄付することを表明。



ソフトバンクの創業

自分で考案した「音声機能付き他言語翻訳機」[6]を当時シャープ専務の佐々木正に約1億円で売り込み、その資金を元に米国で事業を起こし、1981年には福岡で不動産・産廃業を営む母方の親戚の在日韓国人から1億円の出資を受けて日本で起業する[7]。創業時に1億円を投じた在日韓国人の親戚が個人株主としては現在も最大の株主である[7]。
電話の際に自動的に安い回線を選ぶ「NCC BOX」(いわゆるLCR)をフォーバルの大久保秀夫とともに開発した(その関係で、日本におけるLCRの基本特許は孫が保有している)[8]。大久保秀夫との交流は以後も続き、BBフォン、おとくラインの販売など、ソフトバンクグループの法人向けの営業では常にフォーバルと協力体制を取ってきた。
1994年(平成6年)7月にソフトバンク株式会社の株式を店頭公開した。
「日本ソフトバンク」名義の会社を設立したのは1981年(昭和56年)であるが、孫自身は事あるごとに「私は、福岡の 雑餉隈
ざっしょのくま
で、アルバイト社員二人とソフトバンクを始めました」と話している。雑餉隈の雑居ビルに存在した会社は、ソフトバンクの前身である「ユニソン・ワールド」という会社であるが、孫自身はこの「ユニソン・ワールド」がソフトバンクの起業だと考えていることがこの言葉から分かる。孫は同社員の前で、立ち上げた会社を「10年で年商500億の会社にする」と豪語したが、これを聞いた二人は孫の可能性を信じることが出来ず非現実的な法螺話と受け取り、彼の力量を見限って辞めてしまったという話がある。

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